"アホノミクス"…安倍晋三が日本国民を見捨てたとき

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大恐慌をさらに悪化させたとされる生産主義

“恐慌によって腐った部分を経済システムから一掃してしまえば、生計費も下がり、人々はよく働くようになり、価値が適正水準に調整され、無能な連中がだめにしてしまった事業を再建する企業家も現れるだろう”

これは1929年の世界恐慌時、米フーバー政権下で財務長官を務めたアンドリュー・メロンの言である(*「清算主義」対「リフレーション」の構図は正しいか?、田淵太一、東亞經濟研究會、2003)。要するにメロンは、大不況で「潰れるべきモノ(企業や人)」が淘汰されてしまえば、その代わりに優秀な企業や人が勃興するので、却って経済には良いと説いたのである。この考え方は「清算主義」と呼ばれ、これによってフーバー政権は世界恐慌時に何ら有効な経済対処を取らなかった。このことが、大恐慌をさらに悪化させたとされる。

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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/winhorse

この「清算主義」的発想は、安倍政権にも根強く存在すると私は見る。

「もたない会社は潰すから」自民党の正体見たり

自民党の安藤裕衆院議員が4月11日、ある自民党大物議員からの伝聞として〈自民党が冷たくなったよねというのはその通りで、提言の話で「損失補償、粗利補償しないと、企業は絶対潰れますよ」という話をある幹部にしたときに、「もたない会社は潰すから」と言うわけですよ〉と右派系ネット番組で発言したのだ。安藤議員はその後、日刊ゲンダイの取材に対してこの発言を釈明したが、自民党の正体見たりという実感がする。

第2次安倍政権が政権を握って早8年強。田中・竹下系の経世会の領袖だった小渕恵三首相が急逝(2000年)し、「密室内閣」と揶揄された森喜朗内閣に政権が交代すると、民主党時代の約3年半・麻生太郎内閣の約1年間を除けば日本はずっと、自民党清和会内閣が実に15年以上続いている状況である。かつて「クリーンなタカ派、ダーティーなハト派」と指摘されたように、ハト派で鳴らした田中・竹下系の派閥にはロッキードやリクルート事件は言うに及ばず、腐敗や疑獄が付きまとった。

一方清和会は典型的な親米タカ派路線だが、元来代議士一家や土着の資産家が多いので疑獄系の醜聞は比較的少ないように思える。こういった意味では、15年以上続いてきた清和会内閣で「政治とカネ」の問題は徐々にだがクリーンになっていったことは間違いない。しかしながら一方で、清和会による自民党支配は自民党という大衆政党の性質を一変させた。

大企業と都市部の中産階級さえ確保できれば政権維持できる

それまで、地方の職能団体(農協、漁協、郵便局、中小自営業者等)から支持を受け「一票の格差」を逆手にとって衆議院で過半数を保ち続けてきた田中・竹下系の性質からがらりと一変し、清和会は大企業、都市部の中産階級をその支持基盤として小選挙区下、一挙に大勝を重ねてきた。それまで自民党の伝統的な支持基盤だった地方の職能を「抵抗勢力」と名付けて敵視した小泉純一郎内閣以降、この傾向はますます揺らがない。

よって現在の清和会内閣は、かつての田中・竹下系内閣では「聖域」とされた農業分野までその構造改革のメスを入れている。代表的なものがTPP推進(―皮肉にもトランプ政権の意向により断念する格好となったが)だ。現在の自民党は、地方の足腰の弱い職能団体に利益を再分配するという構造は希薄で、大企業と都市部の中産階級さえ確保できれば政権党を維持できるという体制が出来上がっている。

公明党の最終カードをちらつかせた強硬論

ここに清算主義の根本がある。足腰の弱い、支援なくば恐慌下で潰れてしまうような企業や人は、田中・竹下系の内閣では重要な票田だったが、清和会内閣ではそうではない。清和会内閣で一貫して法人税減税が行われてきたのはその派閥の性質によるところが多い。法人税減税は中小零細企業よりも大企業にとってより便益となるからである。

このような状況下で再分配傾向の薄い清和会内閣の補助・助力として期待されていたのが小渕恵三内閣時代から連立を組む公明党の存在である。公明党は元来、その支持母体・創価学会を中心として、大都市部の低所得者層や零細自営業者を支持基盤としており、田中・竹下系の政権と政策的に相性が良い。

公明党が初めて連立を組んだのが経世会の小渕内閣であったこともその証左である。ところが前述のとおり、小渕首相が急逝して「棚ぼた」的に清和会・文教族の森喜朗が首班につくと、公明党は政策的に肌が合わない自民党・清和会との連立を、実に20年の長きにわたって強いられたのであった。もっともこの部分には公明党の政権権力への拘泥があったし、また公明党の支持基盤自体が経済成長によって中産階級に成長した側面もあった。とはいえ今回のコロナ騒動で、当初「困窮世帯に限定して30万円」としたものを「一律10万円給付」に転換させたのは、公明党による「連立離脱」という最終カードをちらつかせた強硬論に官邸が押されたからと言えよう。

安倍晋三の経済対策はどれも後付け・小出し

大企業と都市部の中産階級の支持を受ける清和会内閣は、根底に「弱い者は潰れてしまっても、その溝を優秀な会社や起業家が埋めるので構わない」という清算主義的観念があるとはすでに述べた。コロナ禍で様々な経済対策が打ち出され、またされる予定だが、どれも後付け・小出しであり、「強者の発想」に拘泥する清和会内閣の根底に変化はないように思える。

東証一部上場企業では繊維業のレナウンがコロナ禍で倒産したが、この会社の倒産はコロナ禍以前からの経営基盤弱体をその始祖としていた。多くの大企業は、コロナ禍での一時的な利益の激減すらも内部留保や大規模融資によって概ね乗り切るだろう。それもこれも、2000年の森喜朗内閣から計15年以上も、大企業を支持基盤とした大企業優遇政策が清和会内閣によって実行されてきたからだ。

経済成長を支えた「非合理的不採算企業」

清和会内閣が支配する以前、田中・竹下系内閣が一時期自民党派閥の頂点として君臨してきた時代、「本来、市場の摂理に任せておけば倒産するべき不採算企業を、公的助成や支援で温存してきたために、日本経済の生産性は低くなっている」という批判が跋扈(ばっこ)した。こういった批判が、のちの構造改革路線・新自由主義路線につながることとなる。

しかし50年代~70年代前半の高度成長下、いわゆる「非合理的不採算企業」は都市部・農村部を問わずいたるところに存在した。従業員が10人未満の下請け町工場が工業地帯には乱立し、都市下層民の雇用を支えた。当然、ひとたび不況の風が吹くとそれらの企業は倒産し、不況が収まると類似企業が息を吹き返した。こういった企業は、あきらかに「非合理的不採算企業」だが、当時はこういった企業の近代化の必要性は唱えられど、「潰れるべき企業は潰れてしまって構わない」という意識は希薄だった。なぜなら経済全体が成長していたし、そういった経済成長はとどのつまり大企業の下請けとして機能していた「非合理的不採算企業」が支えていたからである。

今こそ必要なのは迅速かつ大胆な支援である

ところが経済成長が一服して日本経済に成長余地が無くなると、こういった「非合理的不採算企業」への補助や支援は無駄だ、というように言われるようになった。市場原理という競争社会の中では、こういった企業は自然淘汰されていくべきだ、という考え方が主流になり出した。しかし現代的市場経済は、すべてにおいて市場原理主義を肯定しているわけではない。外部から見て不採算、非合理的と見なされる企業や人にも、社会の中で一定の役割を担い、ややもすればそこから大発明や天才が輩出されることもある。すべての企業や人を合理的か否か、不採算か否か、で決めてしまえば、小説も演劇も音楽も一切必要が無い、ということになる。

しかし社会の構造はそうなってはいない。たとえ一見不採算でも非合理的でも、社会の構成員として一定の役割を果たしている企業や人を、市場原理の名のもとに切り捨ててよい法は無いのである。清和会内閣として最も「長寿」を誇る第2次安倍内閣には、この視点が欠落しているように思えてならない。今こそ必要なのは「市場原理に任せておけば淘汰されかねない企業や人」への迅速かつ大胆な支援である。ここを怠ると、大変なしっぺ返しを食らうであろう。

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古谷 経衡(ふるや・つねひら)
文筆家
1982年、札幌市生まれ。立命館大学文学部卒。保守派論客として各紙誌に寄稿するほか、テレビ・ラジオなどでもコメンテーターを務める。オタク文化にも精通する。著書に『「意識高い系」の研究』( 文春新書)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)など。
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(文筆家 古谷 経衡)