金正恩へのメッセージ「パワーワード」に滲む中国の憂鬱
by 重村智計重村智計(東京通信大教授)
中国が、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長の健康状態を相当危惧しているようだ。それを強く印象づける中朝首脳の「やり取り」があった。
5月8日、金委員長が中国の習近平主席に「口頭親書」を送ったとの報道があり、その2日後には習主席の「口頭親書」が金委員長に届いたと報じられた。
ともに朝鮮中央通信によるものだが、日本の新聞やテレビもこの報道をそのまま受け、比較的大きく報じる一方、内容に疑問を示すことはなかった。ところが、中国は「口頭親書」とは違う言葉を使っていたのである。言葉の裏から中朝の激しい駆け引きが見えてくる。
朝鮮中央通信は国営の報道機関である。当然のことだが、政府の宣伝媒体だと思わなければ、確実に北朝鮮の術中にはまる。「通信」といっても、日本の共同通信や時事通信と同じではないし、批判記事や暴露報道もしない。
だから、朝鮮中央通信の報道は、裏読みしなければ真相がつかめない。でも、なぜか日本メディアのソウル特派員は裏読みを避けがちだ。
話を戻すが、上述の中朝のやり取りには大きな疑問がある。そもそも「口頭親書」とは何かということだ。
親書とは、元首の直筆による手紙を意味するため、署名なき「口頭親書」などあり得ない。そうした工作や虚報を行う工作国家が北朝鮮の正体なのである。
では、なぜ「口頭親書」としたのか。まず、本人が文書を書けないか、自筆署名ができない可能性が疑われる。しかも、口頭なのに誰が誰に伝えたのか、明らかにされなかったのも疑問だ。
5月1日、金委員長が20日ぶりに姿を見せたことで、多くのメディアで「健康」と報じられた。それなら、自筆の親書を送るのが当然のはずが、なぜできなかったのか。それでは、中国がどう報じたかを考察してみよう。
北京の特派員は、国営新華社通信の報道を確認したうえで原稿を送る。新華社通信は9日に習主席が「口信(メッセージ)」を送った事実を報じた。中国語で親書は「亲署函」と書く。北京特派員は新華社の記事を受けて、習主席が金委員長に「メッセージを送った」と書いたのである。
ソウル特派員は「口頭親書」と書いたにもかかわらず、北京特派員は「メッセージ」としか書いていない。この差から、中国が親書と認めていないことがうかがえる。
中国語の「口信」は親書というより、明らかにメッセージだ。それでも、朝鮮中央通信は「習近平主席の口頭親書が届いた」と報じたのである。
中国が北朝鮮の要望に合わせるなら、口頭親書が来たので口頭親書の返事を出した、と報道すれば問題ない。わざわざ「メッセージ」と表現させたのには、何らかの意図があるのは当然だ。なぜ北朝鮮は「口頭親書」の表現にこだわり、中国は「親書」表現を拒否したのか。
北朝鮮は5月1日に「健康な金正恩」を出現させた。そうなると、公務で姿を見せるなど頻繁な活動を誇示しなければおかしい。
それをごまかすために「口頭親書」を送ったと報道し、健全な状態を演出しようとしたのではないか。この策略に、韓国メディアとソウル特派員がまんまと乗せられたといったら、言い過ぎだろうか。
となると、朝鮮中央通信を裏読みすれば、金委員長の「必ずしも健全ではない」事実が浮き彫りになる。この視点から、習主席の「メッセージ」を読めば面白い。親書は、首脳に直接手渡されるから「親書」であって、習主席に誰も会っていないのに「口頭親書」とするのは、外交慣例上非礼にあたる。
北朝鮮は、習主席の「口頭親書」返信を期待したはずだ。過去の北朝鮮のやり口からすれば、「口頭親書」を使うように要請したのは間違いない。それなのに、中国政府はメッセージを意味する「口信」を使った。
北朝鮮のメンツは丸つぶれだが、中国側の不快感も強いことが分かる。中国は、北朝鮮が金委員長の「健全」を宣伝するために、習主席を利用したと受け止めたからだ。
後で健全でなかったと分かったら、いい面の皮だ。失礼にもほどがある。
この中国の怒りと不快感が「口信=メッセージ」には含まれている。「口頭親書」の使用を懇願する北朝鮮に対し、中国側は「信」の言葉に親書の意味を含んでいる前例があると、平気な顔で返事したことだろう。そうする一方で、新華社通信の日本語訳には「メッセージ」と訳させており、かなり意図的だ。
どうも中国は、金委員長の健康がなお危うい事実をつかんでいるのではないか。それを裏付ける事実がある。
ロイター通信は4月下旬に、中国共産党中央対外連絡部(中連部)の高官らが、北朝鮮を訪問したと報じた。この高官は宋濤部長とみられている。
ロイターの報道に対して、中国外務省の報道官は否定も肯定もしなかった。それどころか、報道官は質問に「私たちには材料がない。ロイターに取材源を聞きたい」と、とんでもない返事をした。
宋部長は中国で、北朝鮮担当の最高幹部である。2011年12月、金正日(キム・ジョンイル)総書記が死去する2日前に宋部長が密かに平壌に入り、後継者問題や中国の安全保障に関する約束、そして経済支援について話し合っていたことは以前の論考で指摘した通りだ。だからこそ、今回も宋涛部長が金委員長の健康状態を詳細に確認したのである。
習主席が送った「メッセージ」の中にも奇妙な表現があった。「新たな時代の中朝関係」「双方の重要な共通認識を実行」という言葉だ。
金委員長が権力を継承してからもう10年近くになるというのに、いったい「新たな時代」はいつを指すのか。実は、中国が金総書記以降の時代を「新たな時代」と示唆することで、何が起きても北朝鮮を支持し、支援するという立場を強調したという噂が、北朝鮮の首都平壌(ピョンヤン)では広がっているという。
さらに「双方の重要な共通認識を実行」という表現には、いまだに実行されていないとの意味が含まれる。中国は金委員長の健康を「健全」とは考えていない、というメッセージだと分かる。
何より金日成(キム・イルソン)主席の生誕記念日「太陽節」に、金主席を安置する錦繍山(クムスサン)太陽宮殿に参拝しなかった理由がいまだに不明だ。それに、前回の寄稿でも指摘した謎が残されている。金委員長が自筆の「親書」を送り、次の登場の際に肉声が聞こえるまでは、疑念が消えることはない。