【コラム/旅へ。】希望を胸に夜明けを待つ

 大鵬(たいほう)親方に誘われて朝稽古を見学したのは、もう15年も昔のことだ。稽古場の板の間に上がり、力士がぶつかり合う鈍い音に圧倒されていると、隣の男性に話しかけられた。顔を向けると、北(きた)の湖(うみ)親方が厳しい眼差(まなざ)しを土俵に投げかけていた。歴史に名を残す二人の大横綱にはさまれて、私はその場に固まってしまった。

 東京スカイツリーを見上げながら、日本橋から隅田川に架かる清洲橋を渡ると、そこは深川清澄(江東区)、江戸情緒が漂う下町である。豪商・紀伊国屋文左衛門の屋敷跡と伝わる清澄庭園から、大鵬部屋(現大嶽(おおたけ)部屋)、北の湖部屋(現山(やま)響(ひびき)部屋)があった横綱通りに差しかかり、朝稽古の張りつめた空気がよみがえってきた。

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芭蕉稲荷神社。大正6年(1917年)の台風を原因とする津波襲来で、芭蕉が愛したとされる石造りのカエルが見つかった

 隅田川のほとりに芭蕉稲荷神社を見つけた。漂泊の俳人・松尾芭蕉は延宝8年(1680年)、日本橋の居を離れ、この辺りの草庵(そうあん)に移り住んだという。川面を揺らす大小の船影に旅情をかき立てられたのだろう。9年後の元禄2年3月27日(新暦5月16日)、芭蕉は夜明けとともに奥羽、北陸を巡る旅に発(た)った。『おくのほそ道』は「月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして 行きかふ年もまた旅人なり」に始まる。旅は人生そのものという。

 あらたふと青葉若葉の日の光(栃木県・日光)

 閑(しつか)さや岩にしみ入る蝉の声(山形県・立石(りっしゃく)寺)

 「舌頭(ぜっとう)に千転せよ」と芭蕉は語った。何度も口ずさみ、推敲(すいこう)を重ね、名句が生まれたのである。

 「天才じゃない。努力、努力でやってきた」と大鵬親方が話していたことを思い出した。稽古は3年先のため。5年、10年先を考えた辛抱が大切、と。東日本大震災の時、私は「旅行読売」の編集長だった。「誌面で旅行を楽しみます」という読者の方々からの手紙にどれほど励まされたことか。疫病も手ごわい。ウイルスという見えない敵に勝つには、家にとどまるしかない。今は辛抱の時であろう。

 旅の語源は「他日(たび)」、あるいは「発(た)つ日(び)」とも。それは希望でもある。東の空に曙光が差したなら、いつか芭蕉の道を歩いてみたい。

 明けない夜はない。

 元「旅行読売」編集長 三沢明彦

 (月刊「旅行読売」2020年7月号から)

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