「満員電車の百年史」 戦前から高度成長、そしてコロナ禍...日本人と通勤ラッシュの歴史
2020年5月25日に新型コロナウイルス感染症をめぐる緊急事態宣言の解除が発表されたが、新型コロナ禍の中、社会がよくなったことのひとつに「満員電車の減少」を挙げる日本人は少なくないのではないだろうか。
在宅勤務の推進と外出を控えたことで、朝夕の通勤・通学ラッシュの混雑率は激減、座れる電車が珍しくなくなった。日本社会の宿痾のようだった満員電車だが、実に100年にわたって日本人は共存してきた。コロナ禍で消えるかもしれない満員電車の歴史を駆け足で探ってみた。
戦前ですでに「東京名物」「文明国の恥辱」
都市交通を担う電車の運転が始まったのは明治時代にさかのぼる。東京・大阪で路面電車が開業したのが1903年、翌年に省線(現JR)初の電車運転が、現中央線の飯田町~中野間で始まる。都市化が進むと、特に路面電車(市電)に労働者・学生が集中し、早くも満員電車が発生した。
東京市電の1日の乗客数は1919年に100万人を突破する。これは東京メトロと都営地下鉄を合わせた現在の1日の平均輸送人員1000万人強に比べれば少ないものの、地下鉄と路面電車の輸送力の違いを考えればかなりの混雑が予想できる。
当時の満員電車ぶりはすでに東京の風物詩になっていたようで、流行歌にも登場する。まず1918年の流行歌・東京節の一節から。
「東京の名物 満員電車 いつまで待っても 乗れやしねえ 乗るにゃ喧嘩腰 いのちがけ ヤットコサとスイタのが 来やがっても ダメダメと 手を振って 又々止めずに 行きゃあがる なんだ故障車か ボロ電車め」
物理学者で随筆家の寺田寅彦は1922年に随筆「満員電車」を記している。彼は路面電車の混みぐあいを東京各地で観測し、空いている電車を待たずに混雑している電車に乗っていく人々が市電の混雑を助長していると分析し、
「東京市内電車の乗客の大多数は――たとえ無意識とはいえ――自ら求めて満員電車を選んで乗っている。第二には、そうすることによって、みずからそれらの満員電車の満員混雑の程度をますます増進するように努力している」
とまでつづっている。
大正時代には現在の大手私鉄が続々開業して都市の郊外に路線を敷設し、ラッシュアワーが定着した。無名の東京市民からも満員電車への苦情は出ており、1925年に編纂された調査書「小市民は東京市に何を希望しているか」には学生たちからの切実な言葉が残っている。例えば
「私たちが、常日頃道路のそれと同様に、文明国の恥辱とするところの朝晩の電車についてであります。あらゆる階級の男子も女子も、皆あのむごたらしい状態を続けて行かなければならないのであります。そして、その乗る時降りる時互に先を競う様は、唯我国に於いてのみ見られるべきでしょうか。時折幼い子供や老女の悲痛の声が耳に響きます、実になげかわしい次第であります。かつその混雑にまぎれて婦女子に対してつまらぬ行為をなす狂人の様な者がおります。これはどうしても、朝夕の緩和策を講じなければならない由々しき大事であります」(商業学校に通う学生)
という具合だ。すでに「婦女子に対してつまらぬ行為をなす」、痴漢のような犯罪も出現し、1912年にはすでに日本初の女性専用車になる「婦人専用電車」が中央線に導入されている。
戦後は「殺人電車」が出現
戦後、復員者や引揚者で都市人口が増え、鉄道インフラの荒廃も影響して鉄道の混雑は悪化する。現在のように、混雑率の正確な統計は1970年代頃まで得られていなかったが、ひどい場合はおおむね300%を超えるような込み具合だったとみられる。
1946年2月のニュース映画「日本ニュース」には、身動きもままならないホームにあふれる群衆の映像が記録されている。復興から経済成長の時代、東京の人口は再び激増、1945年に約350万人だった東京都人口は1955年に800万人、1962年に1000万人を突破した。当時のラッシュの過酷さは「満員電車」を通り越して「殺人電車」と例えられる程であった。
1961年の週刊誌「週刊サンケイ」には「殺人電車 わたしはつぶされる!」という見出しが躍っている。ニュース映画「朝日ニュース映画」の1968年の映画「ああ通勤」にも戦後まもない時期と変わらないような、ホームにあふれる乗客の映像が映っている。
複々線化・地下鉄の建設で鉄道の輸送力は上昇し、混雑率は300%台が当たり前だった昭和の時代から平成期には低下していくが、それでも2018年の統計で東京メトロ東西線で199%、JR横須賀線で197%を記録している。平均的な値なので、200%を超える列車も当然あるだろう。東京で電車が走り始めてから100年経っても満員電車との付き合いは「多少マシになった」程度だった。
時差通勤の努力を軽く凌駕したコロナ
満員電車を解消するための時差通勤は、すでに戦時中から検討されていた。軍需工場へ労働者を輸送する列車の混雑を緩和し、また生産の効率化を図るためである。戦後は一例として運輸官僚の角本良平が1956年に論文「時差通勤の必要と可能性」を発表、呼びかけは進んでいたが、大都市圏への人口集中も止まらなかったため、200%級の混雑は依然続いていた。しかしそれらとは比較にならない効果をコロナ禍はもたらした。
それでも、緊急事態宣言解除を目前に、すでに「電車満員」という乗客の声がネットに投稿されている。感染拡大前の混雑率には及ばないにしても、律義に会社への出勤を再開するサラリーマンが増えているということだろう。今後、ラッシュ需要がどこまで戻るかはわからないが、100年以上満員電車と付き合い続けてきた日本人のライフスタイルは、どこまで変わるだろうか。
(J-CASTニュース編集部 大宮高史)