黒川弘務検事長“賭けマージャン”辞職を、産経と朝日はどう報じたか? 読みどころは社説だった - プチ鹿島
by 文春オンライン「週刊文春」(5月28日号)による黒川弘務前東京高検検事長(2月8日生まれ)の賭けマージャン報道のあと、新聞は何を報じたか。政権はどう動いたか、今回読み比べていきたい。
黒川賭けマージャンには産経記者(2名)と朝日社員が卓を囲んでいた。
こうなると注目したいのはそれぞれの新聞がどう伝えるかです。意地悪ですいません。
朝日は「緊張と緩和」
読みどころは社説だった。まず朝日は「黒川氏辞職へ 政権の『無法』の果てに」(5月22日)
コロナ禍で外出自粛が求められているさなかに産経新聞記者の自宅で賭けマージャンをしたことは、
《公訴権をほぼ独占し、法を執行する検察官として厳しい非難に値する。辞職は当然だ。》
朝日師匠ご立腹! しかし次。
《マージャンには、記者時代に黒川氏を取材した朝日新聞社員も参加していた。》
この落差すごい。緊張と緩和である。
さらに謝り方が独特。
《小欄としても同じ社内で仕事をする一員として、こうべを垂れ、戒めとしたい。》
なんだかエラそう。
拙著『芸人式新聞の読み方』で朝日新聞は“高級な背広を着たプライド高めのおじさん”と擬人化したが、謝り慣れないプライドの高さがうかがえる。
「検察の理念」を説く産経
では産経新聞の社説はどうか。
「【主張】賭けマージャン 自覚を欠いた行動だった」(5月22日)
ああ、産経は最初から反省しているようだ。読んでみよう。
《あまりに軽率な行為で、弁明の余地はなかった。検察官には、胸に刻むべき文言がある。大阪地検特捜部の証拠改竄事件を受けて最高検が平成23年に制定した「検察の理念」だ。その第1に、こうある。》
あれ? なんか、検察官とは何ぞやというお説教が始まってしまったぞ。
私の不安と心配をよそに産経師匠は「検察の理念」を読み上げ、《黒川氏の行為は、その自覚を全く欠いていたと責められる》。
そのあと、
《新聞記者も同様である。12年に制定された新聞倫理綱領は、すべての新聞人に「自らを厳しく律し、品格を重んじなくてはならない」と求めている。》
と説教を始める産経師匠。いや、だからその……。
すると次。
《本紙記者2人が、取材対象者を交えて、賭けマージャンをしていたことが社内調査で判明し、謝罪した。》
コントなら全員こける場面である。私は、産経師匠は“いつも小言をいってる和服のおじさん”と擬人化したが、期待通りの展開だった。
記者と取材対象の近さ問題
実は文春には《黒川氏は昔から、産経や朝日はもちろん、他メディアの記者ともしばしば賭けマージャンに興じてきた。》(5月28日号)とある。
記者と取材対象(権力者)の近さ問題はそのまま「新聞論」になるはずだ。しかし他紙の社説でもそこまで論じるものはなかった。
関係性を深めないと情報が取れないという理屈もわかる。しかしそれが単なるズブズブだったら? 時の権力が国民に何をやっているか記者が教えてくれなかったら? 「書いてはいけないこと」が何かと交換されていたら? さまざまな疑問が浮かぶ。
ひとつ言えるのは、現在はもう昭和ではないということ。
毎日新聞「桜を見る会」取材班が書いた『汚れた桜 「桜を見る会」疑惑に迫った49日』に象徴的な記述がある。
桜を見る会疑惑の渦中の昨年11月20日、内閣記者会に加盟する各報道機関の官邸キャップと首相による「キャップ懇談会」が開かれた。食事会だ。これを毎日新聞は欠席した。ここで聞いたことを報道できない以上、出席しても意味がないという判断をしたのだ。
この判断はSNSで話題になり、称賛も多かった。つまり「記者たちも見られている」のである。
首相会見で誰が何を質問したのかすぐにチェックされるし、たとえばイチローの引退会見でとんちんかんな質問が出たら「あれは誰なんだ」と話題になる。記者にとってはオープンな場でのガチンコ勝負の実力も問われる時代となった。
新聞は読むだけでなく「見られている」のです。
ちなみに東スポは「問題になった日の夜も国士無双をアガったと噂されている」(5月23日付)と報じていた。マイペースである。
「訓告」は「事前に官邸で決めていた」
では、文春報道のあと政権はどう動いたか。見えたのは相変わらずの「例の振る舞い」である。
政府は21日、大阪、兵庫、京都の緊急事態宣言を解除したが、首相は《コロナ対応の節目では会見してきたが、この日は立ったまま質問を受けた。「逃げ」の姿勢がにじんだ》(日刊スポーツ5月22日)。
そういえば同じく文春が報じた森友問題・赤木俊夫さんの遺書全文公開(3月26日号)直後も会見は開かなかった。
「記者会見だと、コロナと関係ないことも聞かれる。対策本部会合で語ればいい」
政権幹部の言葉を東京新聞が報じていた(3月21日)。逃げの姿勢を論評されるのはあのときと同じ。
さらに今回は「黒川氏処分、首相官邸が実質決定」(5月25日)と、共同通信が報じた。
「複数の法務・検察関係者」に取材したところ、
《法務省は、国家公務員法に基づく懲戒が相当と判断していたが、官邸が懲戒にはしないと結論付け、法務省の内規に基づく「訓告」となったことが24日、分かった。》
つまり、
《確かに訓告処分の主体は検事総長だが、実質的には事前に官邸で決めていた》というのだ。
これは「定年延長の閣議決定」のくだりとまったく同じ。
「法務省が人事案を持って来た」の時系列
思い出してみよう。首相は15日に櫻井よしこ氏のネット番組で、黒川氏の定年延長は法務省が提案したのかと問われ、
「全くその通りだ。検察庁も含め、法務省が『こういう考え方でいきたい』という人事案を持って来られ、われわれが承認するということだ」
と明言した(東京新聞5月18日)。
さらに《官邸の介入に関し「それはもうあり得ない」と強調した》。
しかし1月31日の定年延長の閣議決定には「前段」がある。5月23日の読売新聞が詳しい。
記事から時系列をまとめてみる。
・昨年末、法務・検察が官邸に上げた幹部人事案は、2月に定年を迎える黒川氏を退職させ、東京高検検事長の後任に林氏を据えるというものだった。
・官邸がこれを退けた。
・すると法務省幹部は稲田氏に2月で退任し、黒川氏に検事総長の座を譲るように打診した。
・稲田氏は拒んだ。しかし稲田氏が退任しないと、2月が定年の黒川氏は後任に就けない。
・法務省は「苦肉の策」として、国家公務員法の規定に基づいて黒川氏の定年を半年延長する案を首相に示した。←ここ注目!
いかがだろうか。安倍首相の言う「法務省が人事案を持って来た」は最後の部分ということがわかる。ここしか時系列を説明していない。不都合な前段には触れていない。
現政権には朝ご飯を食べたのかと聞かれ、パンを食べたのに「ご飯(米)は食べてない」と答える「ご飯論法」が以前から指摘されるが、ここでもまた同じ逃げ方をしていた。
まだある。
黒川延長&検察庁法改正案にこだわったのに
同じく読売を熟読すると、
「国家公務員法改正 首相、廃案も視野」とも(5月22日)。
え、あれだけ黒川延長&検察庁法改正案にこだわったのに廃案も視野?
理由に驚いた。
《自民党の世耕弘成参院幹事長は、新型コロナウイルス感染拡大で民間企業が苦しむ中での定年延長を疑問視している。首相は世耕氏の発言に触れ、「そういうことも含めてしっかり検討していく」と述べた。》
世耕氏の発言は5月19日である。ということは世耕氏や首相が「コロナで民間が苦しんでいる」ことに気づいたのは先週ということなのだろうか。ま、まさか……。
またも「慌てて幕引き」パターン
実はこれ、時系列で追うと興味深い。文春のあの記事には「5月17日」の日曜に黒川氏本人に直撃したとある。そして翌日、読売が「検察庁法案 見送り検討」(5月18日)と一面トップで書いた。
文春に記事が出ることを黒川氏が官邸に報告(日曜)→その日に慌てて見送りの方向を決める→月曜の読売一面、という展開が、想像だが思い浮かぶ。
これってどこかで見たなと思ったら、桜を見る会に批判が集まったら「来年は中止」としたあのやり口だ。
マズいと思ったら慌てて幕を引く。そして何があったかは説明しない。同じ頃の英語民間試験延期もそうだった。あたかも萩生田光一文科相の英断のようにみせた。
つまり、「例の振る舞い」が今回も見えたのだ。それは「姑息さ」と言い換えることができる。
やはり今回の検察庁法改正案は姑息の集大成なのである。
(プチ鹿島)