篠田節子さん「コロナ後の日本」インタビュー 「人間関係の変化より、社会の分断に警戒を」
新型コロナウイルス感染症との闘いが続く中、作家の篠田節子さん(64)が1995年に発表した小説「夏の災厄」が再注目されている。謎の疾病が広まり社会が危機に陥る描写が現状を言い当てたようだと口コミで話題となり、25年前の作品が3月、4月と緊急重版された。著者の篠田さんがこのほど本紙のインタビューに応じ、“コロナ後”の日本を予測した。(取材構成・丸山汎)
一晩で重篤化する症状、増え続ける死者、嗅覚異常、院内感染に倒れる看護師、学校閉鎖、宅配業の隆盛…。新型コロナウイルスの話ではない。25年前の小説『夏の災厄』のストーリーだ。
「当時、編集者に『命を懸けて荒唐無稽なストーリーを書く』と言ったんです。それは死者数とか街で起きるパニック、医療従事者が亡くなるというようなことでした。書いたものを現実が凌駕(りょうが)した。やはり驚いています」
篠田さんは市役所の保健予防課職員として予防接種に従事した経験から、既に軽視されつつあった感染症への警告を込めた。作中で危機に立ち上がるのは若い保健所職員、ベテラン看護師…。名もなき医療従事者たちだ。
「いま一番大変なところが医療現場であっても、発言なさっているのは、割と偉い先生クラスですね。私は命がけの現場の視点で書きたかった。今回も看護師さんや看護助手、介護士さんらにしか見えていない部分はかなりあるはずです。そういう声の収集こそ必要だし、現場の人たちを守らなければ」
一方、現実のコロナ禍では、世界的に封じ込めに差があった。「感染の押さえ込みにはどうしても私人の権利と対立する部分があり、強権を発動できる中央集権国家の方が効率的に行える。そうした国が影響力を強めて世界の勢力図が変われば、民主主義の後退やほころびが見えてしまうのではと危惧しています」。今後、世界のパワーバランスが変化する可能性も指摘した。
執筆時と大きく異なるのはSNSの普及。だがテレワークやソーシャルディスタンス(社会的距離)などが価値観を変える可能性については、別の見方をしている。
「実際にはソーシャルというより身体的な距離の問題にすぎない。私の日常も、LINEが早朝から夜中まで飛び交っています。何かというとビデオ通話が始まって、お互いの顔を見て話す。距離はむしろゼロになってしまって、他人がそばにいる感じです」
確かにメールやビデオ通話による“接触”の頻度が増したと感じる人は多い。「人間関係が希薄になることはあり得ない。人間同士の距離よりも、社会構造の変化の方がよほど深刻です。経済低迷で起きる教育の不平等や、賃金格差がもたらす社会の分断の方が影響は大きい」とみる。
新規感染者の減少を受け、緊急事態宣言の全面解除も近い。「仕事に出る人々が増えれば、秋口を待たず、第2波、第3波が来る可能性が高い」。国内での新型コロナの影響による解雇も1万人を超えた。
「ここまで来てしまうと立ち直れる人から立ち直っていくしかない。大噴火や大規模な山火事があった後、最初に生えてくる植物がある。それらが大繁茂をして次の生物の土台を作ります。同じように、必ず伸びていく産業はあるはず。被害を最小限にとどめ、速やかに焼け跡から短期間で立ち上がれる態勢を整えておくことが重要ではないでしょうか」
ウイルスパニックを小説で“予言”した篠田さんは、「コロナ後」をこう見通した。
「夏の災厄」
1995年発刊の医療パニックミステリー小説。埼玉県内の都市で新型脳炎とみられる奇病が発生し、住民が次々と死亡。行政の対応が後手に回る中、感染爆発の危機に夜間診療所の臨時看護師らが奔走。やがてウイルスが人工である可能性に行き当たる-。同年の直木賞候補作となった。2006年に日本テレビ系「ウィルスパニック2006夏~街は感染した」としてスペシャルドラマ化され、りょう、内藤剛志らが出演。角川文庫刊、税抜き840円。
篠田 節子(しのだ・せつこ)
1955(昭和30)年10月23日生まれ、64歳。東京・八王子市出身。東京学芸大教育学部を卒業後、八王子市に採用され保健予防課などに勤務。90年にデビュー作「絹の変容」で小説すばる新人賞を受賞したことを機に退職し、以降は作家活動に専念。97年「女たちのジハード」で直木賞。2019年「鏡の背面」で吉川英治文学賞。宗教、文明論、食の安全など多様なテーマを描く。今年4月に紫綬褒章。趣味はチェロ演奏。