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山形・JR羽越線脱線事故の現場を視察する松田昌士氏(中央)=山形県庄内町で2005年12月29日、小出洋平撮影

国鉄の民営化けん引、JR東の経営安定 道産子の松田昌士元会長死去

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 国鉄の分割民営化を内部から進めた「国鉄改革3人組」の一人、松田昌士さんが死去した。国論を二分した民営化を実現させ、JR東日本の経営を安定させた功績は大きい。

 北海道北見市生まれ。開拓民の3代目で、父は元国鉄札幌駅長を務めた。母の勧めで国鉄を受験し、気は進まなかったが「親孝行になるなら」と決意。北海道大大学院法学研究科を修了後、1961年に入社した。

 70年代から80年代にかけての国鉄は、多数の赤字路線を抱えて財政が悪化する半面、現場ではストライキが頻発して混乱を招いていた。国鉄改革を念頭に政府が第2次臨時行政調査会(第2臨調)をスタートさせた81年、国鉄内では松田さんら若手キャリア20人が再建のための勉強会をひそかに発足させた。第2臨調は82年に分割民営化を答申し、勉強会も分割民営化を目指すと、経営陣や労組、官僚、族議員からの圧力が強まり、…

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