イチローら名選手の引退美学 幕引きの言動に個性
スポーツライター 丹羽政善
「イチロー引退 舞台裏の物語」という昨年6月にNHKのBS1で放送された特集番組の取材をしていたのは、ちょうど昨年の今ごろだった。
イチローの引退試合となった3月21日の記憶をマリナーズの関係者、チームメート、アスレチックスの選手らにたどってもらい、歴史的な場面に立ち会った思いを尋ねて回ったが、チームメートだったマイク・リーク(現ダイヤモンドバックス)が、最後のカーテンコールのシーンをこう振り返ったのが印象に残る。
「選手としては、誰もが夢見るエンディングではないか」
イチローは米メディアの囲み取材に応じた後、客席に残ったファンの声援に応えて場内を一周し、感謝と別れを告げた。双方に万感の思いがにじんだが、誰もが得られる機会ではない。
「僕も大学最後の試合のとき、スタンディングオベーションで送り出してもらった」とリーク。それは何ものにも代え難い経験の一つになったが、こう続けて苦笑した。「しかし、せいぜい5000人ぐらいの話だから、(イチローのときとは)比較にならないけどね」
話が変わるが、「走れウサギ」「ケンタウロス」などの著書で知られるジョン・アップダイクは作家として知られる前に「ザ・ニューヨーカー」という雑誌に寄稿しており、最後の4割打者として知られるテッド・ウィリアムズ(レッドソックス)の最終戦(1960年9月28日)の様子を描いた「Hub Fans Bid Kid Adieu」は、今なお読み継がれている。
エッセーの終盤では、おそらく最後になるであろう八回の第4打席、スタンディングオベーションの中で打席に入ったウィリアムズが、センター右に本塁打を放ったものの表情を変えず、下を向いたまま早足にベースを駆け抜けてダッグアウトへ消える様子を描写している。
■神は手紙の返事を書かないものさ
ファンはその後、ウィリアムズの名を呼び続けてカーテンコールを促す。グラウンド上の選手も審判も試合を止めて時間をとったものの、ウィリアムズ本人が姿を見せることはなかった。
すると、アップダイクはこう書く。「Gods do not answer letters. (神は手紙の返事を書かないものさ)」。あまりにも有名な一文である。
その後、ウィリアムズの振る舞いは、引退美学の一つとしても広まった。
彼は試合後、最後の遠征であるニューヨークへ行かないことを決断し、それは地元ボストンのファンに対する一種の敬意と捉えられたが、半世紀を過ぎ、その記憶が掘り起こされることになる。
2014年にヤンキースのデレク・ジーター(現マーリンズ最高経営責任者=CEO)が引退したが、最終シリーズがボストンでのレッドソックス戦だったのである。もちろん、逆のパターンではあるが、あの年の9月になると、ウィリアムズのエピソードとともにジーターがどう幕を引くのか、ささやかれ始めた。
実は、19年に史上初の満票で野球殿堂入りを果たした同僚のマリアノ・リベラがその前年に引退したが、彼はヤンキースタジアムで行われた最終戦に登板すると、続く敵地でのシーズン最終シリーズではマウンドに上がらなかった。彼もウィリアムズ同様、キャリアのピリオドを地元ファンの前で打ったのだ。
やや異なるが、ケン・グリフィーJr.(マリナーズなど)は、10年6月2日に引退を発表している。6月2日はその75年前にベーブ・ルースが引退した日でもあり、これは偶然ではない。そうして往年の名選手や歴史に敬意を払うこともまた、引退美学の一つなのである。
そんな中で迎えた14年9月25日。ジーターがヤンキースタジアムの最終打席でサヨナラヒットを放つと、条件がそろった。これ以上の形はない。チームも優勝争いから脱落し、もはや勝敗も関係ない。ところがジーターはボストンへ行くと試合にも出場し、最後、スタンディングオベーションにも応じた。
ジーターはボストンのファンにも「手紙」を書いたのだった。
さて、イチローは万雷の拍手を一身に浴び、「いや今日の、あの球場での出来事……。あんなものを見せられたら、後悔などあろうはずがありません」とその後の引退会見で言葉に強い思いをにじませ、こう続けている。
「死んでもいいという気持ちは、こういうことなんだろうなあと思います。死なないですけど。そういう表現をするときって、こういうときなのかなって」
自分で幕を引くというよりも、イチローはファンに最後の形を委ねた。
■何も感じなかったから、あいさつなし
ちなみにウィリアムズは本塁打を放った後の翌九回、一度守備についてから、交代を告げられた。イチローのときもそうだったように、監督がそう計らったのだ。左翼から一塁側のダッグアウトに戻るときもフェンウェイ・パークのファンは拍手を送ったが、ウィリアムズはそれに応えることなく、ベンチに消えた。
監督から「なぜだ?」と聞かれると、「あっ、あいさつするのを忘れた」ととぼけたそうだが、「Ted Williams:Reflections on a Splendid Life」という本には、地元記者に聞かれたとき、こう答えたと記されている。
「何も感じなかったから。まったく、何も」
それもまた、彼らしいといえば彼らしいが、ニューヨークへ行かなかったことは好意的に受け止められた。それがたとえ、最後の打席で本塁打を放ち、もう満足したからという個人的な理由であったとしても。