神戸空襲75年 犠牲者148人の刻銘追加 6月の式典は一般参加中止に

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 新たに判明した神戸空襲による犠牲者148人の名を刻む刻銘追加式が6月7日、大倉山公園(神戸市中央区)にある空襲犠牲者の碑で開かれる。遺族など100人以上が参加してきたが、今回は新型コロナウイルス感染拡大で、遺族や一般参加の自粛を呼びかけ、最小限の人数に絞る。主催する市民団体「神戸空襲を記録する会」は「今年は戦後75年の節目。さまざまな世代が集い、空襲を語り継ぐ貴重な機会だったのに……」と無念さを隠せない。【山本真也】

 神戸空襲は太平洋戦争末期の1945年3月17日、6月5日など複数回あり、8000人以上が亡くなったとされる。

 記録する会は71年に設立。空襲があった3月17日に慰霊祭を営み、体験記の編さんや戦跡歩きのイベントを続けてきた。2000年代からは犠牲者名簿の収集にも力を入れ、神戸市の協力も得て、約1400人を把握。13年8月、大倉山公園にその名を刻んだ「神戸空襲を忘れない いのちと平和の碑」を建立。約850人が除幕式に集った。

 今回の刻銘追加式は2年ぶり5回目。神戸港への機雷投下により沈没した民間船の犠牲者85人を含む148人が追加され、碑に刻まれるのは計約2200人になる。銘板には名字だけの人や「よっちゃん」「○○三姉妹」といった記載もある。記録する会事務局長の小城智子さん(68)は「一家全員が犠牲になり、ご近所さんの情報を元に記載した人もいます。公的な調べがなく、いまだに多くの犠牲者の氏名が分かっていません」と言う。

 コロナ禍を受け、記録する会は3月の慰霊祭の一般参列を断った。刻銘追加式も感染拡大がやまないことから、延期を検討した。しかし刻銘を心待ちにする遺族の思いは重たかったという。

 4月には、祖父の名前が今回、空襲犠牲者として刻まれる熊本市の男性から「母は昨年春に他界しました」との手紙が届いた。「母は生まれ育った神戸の地にある碑に父親の名を加えてもらえることを喜んでいました。私もいつか時間をつくり、祖父の名前が刻まれた碑を見に行こうと思います」とつづられていた。

 小城さんは「この方のお母さんのように、この2年間で刻銘を心待ちにしながら亡くなった方がいる。遺族の年齢を考えると先延ばしはできなかった」と話す。

 刻銘追加式は午前10時から、一般参加を中止し、記録する会の世話人など最小人数で行う。

 小城さんは「戦後75年で秋に戦争を学ぶイベントを計画していましたが、コロナ禍で出演者の予定が立たたず、白紙になりました。戦争を知る世代が少なくなる中で、次の世代にどう伝えていけばいいのか、人が集まれない状況では悩ましいです」と言う。