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【昭和の虎模様】久万俊二郎氏「球団なんていらない-」身売り報道もファンと接し

 今年、球団創設85周年を迎えた阪神タイガース。長い歴史の中では多くの名選手、名勝負が生まれ、数々の“事件”もあった。昭和の時代にデイリースポーツでトラ番を務めた平井隆司元編集局長が、栄光と挫折の歴史を秘話をちりばめ連載で振り返る。

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 「タイガース身売りか」と夕刊紙などが書いたことがある。30年ほど前だから、覚えている人も少なくなっただろう。

 〇〇ビールとか〇〇急便とか。買収する?会社の実名も乱舞した。当時、電車の中でサラリーマンたちが「代走で飛脚が出てくるんちゃうか」と会話しているのを聞いて、思わず吹き出した。

 火のないところに煙は立たないといわれる。しかし、阪神電鉄の役員が「根も葉もない」と笑って、広げた右手を左右に振るばかりなので、いつしかその話題も霧散した。

 「阪神学事始」(神戸新聞総合出版センター)という本がある。1994年の発行で兵庫県の著名な人物の講演などを編集したものだ。タイガースのオーナー(当時)久万俊二郎も登場するから、本棚に長く収めている。久万のページにこんなくだりがある。

 「私は社長に就任するまで、球団なんていらない、こんなものがあるとかえって社員の精神がアバウトになって困る、むしろないほうがいいのではないか、と思っておりました」

 となると久万が気心の通じる仲間に「虎を売ろう。電鉄に必要か?」の思いをしゃべり、それを聞いた誰かが、ついつい口が滑って記者の耳に。そしてチームが暗黒期に入っていた89年になって表に出た…と考えられなくもないが、いずれにせよ実現はしなかった。

 久万が阪神電鉄の社長に就いたのは82年の6月。タイガースのオーナーに就いたのは2年後だ。

 先の「阪神学-」はこう続く。

 「しかしながら、社長になってオーナーになって球団の経営にタッチし、また、フアンの皆さん方に接しますと、そうではないとしみじみ感じるようになりました」

 オーナーに就任して初めて迎えたシーズンに吉田義男で日本一。野村克也の3年連続最下位で呆然とし、星野仙一で優勝パレードを見て、野球音痴が野球を好きになる。

 久万が泣いたことが一度ある。村上世彰率いる村上ファンドに電鉄株を食われてしまい、阪急の軍門に降(くだ)ったある夜、己は相談役だったのに電鉄の会長と社長ら幹部に「株の怖さ」を教えきれていなかった。その悔いに心と体が震え、涙が止まらなかったという。

 「阪神は甘い。親会社もタイガースも」。そのような記事を読んだ覚えが多くの人にある。=敬称略=

 ◆久万 俊二郎(くま・しゅんじろう)1921年1月6日生まれ。高知県出身。東京帝国大学法学部から海軍へ。復員後の46年5月、阪神電気鉄道に入社。82年6月に代表取締役社長。84年10月から2004年11月まで、阪神タイガース第6代オーナーを務めた。11年9月9日死去。