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現役を引退し、球団職員として営業部で働く中後悠平氏【拡大】

【球界ここだけの話(1881)】前DeNA・中後氏が球団初の営業部に転身

 「こうやって受け取るんですよね。よろしくお願いします」

 昨オフにDeNAから戦力外通告を受け、現役を引退。横浜DeNAベイスターズの事業本部営業部の一員として第2の人生をスタートさせた中後悠平氏(30)は「部長から教わりました」とスムーズに記者との名刺交換を終えた。

 「部長について回ってノウハウを学んでいます。営業は仕事の範囲が大きいんです。皆さんがホンマに忙しそうで…」

 現役時代にはほとんど触ることもなく、「ほこりをかぶっていた」というパソコンとも「毎日にらめっこです」と苦笑い。人知れずパソコン教室にも通った。

 ロッテ、米大リーグ、ダイヤモンドバックス傘下マイナー、DeNAと3度の戦力外通告を経験した苦労人も、まだ30歳。貴重なサイドスロー左腕を必要とする球団があるかもしれなかった。中後氏も「もちろん、現役を続けたいと思った」と素直な心境を語った。

 昨季は1軍で4試合のみの登板も、イースタンでは44試合で46回1/3を投げ、防御率1・17、イニング数を上回る47三振を奪った。「1軍の戦力として考えてくれる球団があれば、絶対に声がかかると思ったんです」。結局、獲得希望球団は現れず、早い段階から新たな道を示してくれたDeNAの球団職員になることに決めた。

 営業部と野球振興部のそれぞれの管理職と面接。実は球団側が現役を終えた直後の選手に営業部入りを打診したのは初の事例だった。球団関係者は「人間性を高く評価しました。彼なら営業でもやれるのではないかと判断しました」と明かした。

 中後氏にとって営業部は未知の世界。一方で野球教室などを通じて地域との密着を図る野球振興部は自分が働く想像はできた。

 あえて選択したのは“イバラの道”だった。

 「やるんやったら一からいこうと。これまでの選手が(営業部から)話がなかったなかで誘っていただいた。自分に何か魅力を感じてくれたのかな、と。それに応えたい。社会人として一から学べる。営業部の方が、人生の経験としていいと思ったんです」

 ユニクロでスーツ2着を新調しビジネスバッグも買った。「キャッチボールをしたことない子が、プロ野球の世界に入っている感じ。ホンマに勉強できています」。まだまだ修行中の身だが、新たな“戦闘服”とともに、変則左腕の全力投球は続く。(湯浅大)