非正規雇用でも子供が育てられるような社会をつくらなければ、この国に未来はない - 「賢人論。」第109回(中編)宇野常寛氏

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宇野常寛氏は、石破茂・元地方創生担当大臣との共著『こんな日本をつくりたい』(太田出版)序文で次のように述べている。〈「戦後」的な社会システムを、根本的につくり直さなければいけなくなってきている〉。さらに同書では、国の機能不全の原因は政治が現実を直視していないからだとも指摘。発言の背景には就職氷河期世代ならではの危機感があるという。あらためて日本の未来について、思いの丈を語っていただいた。

取材・文/木村光一 撮影/公家勇人

いまや『サザエさん』や『クレヨンしんちゃん』のような、ライフスタイルは崩壊している

みんなの介護 『こんな日本をつくりたい』を拝読して、もっとも印象に残ったのが「非正規雇用の夫婦2人が子どもを育てられるような社会をつくらなければならない」という宇野さんの提言でした。

そこには、まさに「少子化」「貧困」といった問題が端的に集約されているように感じられました。

宇野 いや、それはそんなに難しい話じゃないんですよ。僕は移民の受け入れには賛成なんですが、もし、政府や国民の多くが移民に頼らずに人口を増やしたいと望んでいるなら単純に出生率を上げるしかない。その際、今の日本の経済状況を見れば、非正規雇用の共働き夫婦を標準モデルにして対策を立てるべきだと。

つまり、正社員のお父さんと専業主婦のお母さんがいる家庭が日本人の“普通”で、日本の家族像が『サザエさん』から『クレヨンしんちゃん』の間に収まっていると思い込んでいる、戦後の日本人的ライフスタイルが崩壊していることにまだ気づいていない人たちに「ちゃんと現実を見てください」と言いたかったんです。現役世代の1国民としてね。

そうでないと、やれ少子化対策だの、やれ貧困対策だの、あるいは働き方改革だのといったところで、議論がまったく虚しいものになるだけですから。

みんなの介護 高齢者福祉についてはどのようにお考えですか?

宇野 少子化対策とセットだと思っています。働けなくなった高齢者の生活に対してセーフティネットを張るということと、子育てや就学を支援することは繋がっている。

そもそも年金は現役世代の稼ぎから支払われており、将来、子どもたちもその役割を担ってくれるわけですから、自分の子どもだろうと大嫌いな奴の子どもだろうと、50年、100年先を考えれば無条件で次世代への投資は行われなければなりません。

ところが、そんな当たり前のコンセンサスさえきちんととられていないことが、この国の一番の問題なんです。近所に保育園ができるとうるさいから嫌だと言って怒る人、電車にベビーカーを持ち込むなとか言っている人は論外ですよ。

近い将来、能力のある若者から海外へ逃げ出していくようになる

宇野 ただ再分配の問題は厄介で、経済がグローバル化しているのに、国内の再分配だけで格差を是正しようというのは、長期的には無理が出てくるのかもしれませんね。

みんなの介護 社会保障制度もグローバル化させる必要があるということでしょうか。

宇野 もちろん、今の段階では夢物語ですが、世界の現実や根本的な問題を直視すれば、それくらい大胆な発想の転換が必要なのは火を見るより明らかで、いつまでも付け焼き刃的な再分配の微調整だけをやっていても仕方ないんじゃないでしょうか。

いずれにせよ、どこかの時点で高齢者に対する社会保障の費用を少しでもよいから削って若者に投資する決断をしないとこの国に未来はない。このまま手をこまねいていれば、近い将来、能力のある若者から順番に海外へ逃げ出してしまいます。僕が今の大学生なら、間違いなくそうすると思います。

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トランプ時代の「どこかでしか生きていけない」取り残されてしまった人々

みんなの介護 たしかに、いいかげん「世代間格差」の問題に真剣に取り組まないと、世界中で起きているような〝分断〟が日本でも起きてしまうかもしれませんね。

宇野 少し前、イギリスのデイビッド・グッドハートというジャーナリストが〝ブレグジット〟(英国のEU離脱)の背景を「世の中には、どこでも生きていける〝エニウェアな人々〟と、どこかでしか生きていけない〝サムウェアな人々〟の対立」という言葉で説明していましたよね。

「エニウェアな人々」というのはグローバルな情報産業に従事するプレイヤーたち。グローバル化というのは国境が消えることではなく、世界規模のメガシティネットワークが構築されたということですから、彼らはネットさえあればどこにいたって仕事ができる。

一方、20世紀的な工業社会に置いていかれてしまった人々は仕事をする場所を選べない。それが「サムウェアな人々」です。

アメリカでトランプ政権が誕生したのもそういったグローバル化に対するサムウェアな人々のアレルギー反応の典型なのですが、もうエニウェアな生き方をしている若い人たちは止められないし、すでに世界がそうなってしまっている以上、自国のことだけ考えていても経済の問題や社会保障の問題は解決できません。

したがって、これからの国家の主な機能は、社会環境の激変に取り残された〝どこかでしか生きていけない〟サムウェアな人々のケアだと僕は思っています。しかし、現状、日本はその対策でも世界から半周以上遅れており、非常に危機感を覚えています。

みんなの介護 朝日新聞のインタビューで宇野さんは「僕ら現役世代はもう捨て石になるしかない」と発言されていました。〝捨て石〟とは、どういう意味だったのでしょうか?

宇野 この発言は僕の経験に裏打ちされています。以前、『加藤浩次VS政治家』(フジテレビ)という討論番組に2回出演し、30代、40代の政治家たちと議論したのですが、その際、子育て支援が弱いということ、就学支援が弱いという認識において自民党から共産党まで全員の意見が一致しました。

世代的に子育てや教育の問題を他人事では済まされないという思いを共有していたこともあり、右も左も、政治思想を問わず、これだけは超党派で取り組もうと盛り上がったんです。

ただし、それはとりもなおさず、上の世代から下の世代へ、今の国民から未来の国民への所得移転に他なりませんから、実行にあたっては腹を括って、お爺ちゃんお婆ちゃんに「ごめんなさい」とはっきり言わなきゃいけない。

もっといえば「自分たちも下の世代のために身銭を切ります」と宣言しなければ納得してもらえないだろうという話になった。僕とまったく意見の合わない議員の方とも、その点では一致しました。

みんなの介護 しかし、現在41歳の宇野さんの世代は就職氷河期を経験したロストジェネレーションであり、本来〝身銭を切る〟ことにもっとも抵抗があるのでは?

宇野 おっしゃるとおり、キャリアを積めないまま40代を迎えてしまった人たちも少なくありません。僕らの世代は子育て支援も受けられなかったし、この先も年金で損をするでしょう。だから「捨て石」なんです。

とはいえ、不平を口にしているだけじゃ何も始まらない。余裕のある人たちだけでいいから未来に投資しないと、この国に生まれたことが不幸になってしまう。

腹を括って「僕らも我慢するから、お爺ちゃんお婆ちゃんも我慢してもらえませんか」と言うべきことは言い、「その代り、これから社会に出る人たちの面倒は見ます」と誓う。それ以外に、互いに納得し合えるロジックはないんですよ。

もちろん、それはあの時代を生き延びた人たちが切る身銭であるべきで、あの時代の雇用調整の犠牲になった人のケアを打ち切るべきではないと思います。ただ、繰り返しますが余裕がある今の現役世代はやはりどこかで自分たちも一緒に我慢するから、孫の世代に投資して欲しいと親の世代に言うしかないと思います。