自衛隊「邦人救出」に早く道を拓け

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中国の強い影響下にあったエチオピアの元保健相にして外相だったWHO(世界保健機関)のテドロス事務局長は、中国に遠慮するあまり、コロナウィルスの初期対応に完全に失敗した。

一貫して被害を過小判断してきたWHOは、取り返しのつかない失敗を犯したといえる。今になって想像を遥かに上まわるウィルスの感染力に狼狽を隠せなくなっている。

遅きに失したが、WHOは本日、「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言。「人から人」への感染が日本やドイツなどにも拡大し、世界的大流行に進む中、宣言を見送った前回の緊急委員会からわずか1週間でメンバーを「再招集」した上で宣言したのである。

WHOの動きとは無関係に、各国はすでに中国への航空便停止など独自対策に着手。さすがに中国人を即座に「全面入国禁止」にした北朝鮮のようにはいかなかったが、米国もいち早くCDC(疾病対策センター)を投入し、武漢からの航空便の乗客をそのまま別室に通して検査をおこなう水際作戦を採った。また、フィリピンは中国旅客機そのものを追い返し、台湾は団体客の往来を全面禁止にした。それぞれの国が独自に素早い動きを見せたのだ。

だが、日本はWHOの判断に寄りかかり、武漢からの航空機内で体調に関する「質問票」を配布するという“対策”しか採らなかった。自己申告、つまり乗客の「良心に頼る」という危機意識ゼロの方針だったのである。

日本政府の国家としての危機管理の甘さが見事に露呈されたといえる。しかし、そんな安倍政権が多くの国民の声に突き動かされる形で、新型肺炎の感染源である武漢市に取り残された邦人を救出したことは評価せねばならない。

私は、この邦人救出についてNEWSポストセブンに<武漢チャーター機で考察 自衛隊「邦人救出」の態勢を整えよ>と題して緊急寄稿した。是非お読み頂ければ、と思う。https://www.news-postseven.com/archives/20200131_1536817.html

それは、これを機に日本が「国民の生命」を守るために「新たな道を歩めるか否か」その分かれ道に来ていると思うからだ。

いうまでもなく国家にとって国民の命ほど重要なものはない。国民の「生命」、「財産」、そして「領土」を守れない国家に存在意義などないからだ。

しかし、戦後日本はこの最も大切なものを守ることを「放棄」し、他国に「委ね」て存続してきた。日本は、これまで「自国民の命さえ救えない」国だったのである。

今回の武漢からの邦人救出は、あくまで新型コロナウィルスという「感染」からの退避だったから可能になった。だが、これが戦争、あるいは動乱によって生じた事象だったらどうなるだろうか。

1985年のイラン・イラク戦争、1994年のイエメン内戦、2011年のリビア内乱の時のように、いっさい「無理」であることを拙著『日本、遥かなり』(PHP研究所)で私は詳述させてもらった。

それは今も変わらない。自衛隊は、戦争や動乱といった緊急事態に邦人を救出することはできない。それができないように、国会が自衛隊をがんじがらめに「縛っている」からだ。具体的には、自衛隊の救出活動を阻む「3条件」が存在するのである。

それは、「領域国の秩序の維持」「自衛隊の保護措置への領域国の同意」「領域国の機関との連携・協力の確保」という3つの条件である。国会での議論を経て安保法制でそう決まったのだ。

では、仮に朝鮮半島で有事が起こった場合を考えてみよう。韓国在住の邦人は、およそ4万人。彼らの救出はどうなるのだろうか。

朝鮮有事が発生した場合、この際の「領域国」とは「韓国」である。自衛隊が邦人救出をおこなう場合、韓国が「秩序を維持」しており、自衛隊の保護措置への「韓国の同意」があり、さらに韓国軍との「連携・協力」が確保されていることが「条件」ということになる。

この3条件を韓国が満たしてくれる可能性はあるだろうか。ゼロである。そもそも「秩序を維持」しているなら、邦人の救出など必要がない。つまり、最初からこの3条件は「常識を欠いた」ものなのだ。

つまり、韓国で救出を待つ邦人を自衛隊は「助けられない」のである。私はこのことを問題視し、「安保法制でも救えない国民の命」として記事や講演で訴え続けた。だが、日本人は、いざ“その時”が来なければ、この「重大な欠陥」に気がつかないのである。

国会でこの「3つの条件」が課せられることが決まった時、「これでは、我々は邦人救出に向かえない」と自衛隊幹部が嘆いたことが私の頭から離れない。それが日本なのである。

最も大切な国民の生命を守ることを「二の次」にしてきた戦後日本。武漢からの邦人救出を機に、緊急時の自衛隊による邦人救出の態勢を「国家の責任」として何としても整えて欲しいと思う。