https://cdn.mainichi.jp/vol1/2019/11/29/20191129k0000m010229000p/6.jpg?2
中曽根元首相が設立した「青雲塾」に設置された遺影に頭を下げる元群馬県議の浜名敏白さん=群馬県高崎市末広町の青雲塾で2019年11月29日午後3時22分、鈴木敦子撮影

中曽根氏死去、地元支持者おえつ「志に憧れ」 棟方志功と深い親交も

by

 29日、101歳で死去した中曽根康弘元首相。地元・群馬県では、支持者や関係者らが中曽根氏の功績に改めて思いを致していた。

 県議を経て国政に進出し、第2次中曽根第2次改造内閣(1985~86年)で大蔵政務次官を務めた元衆院議員で弁護士の熊川次男さん(89)=前橋市=は「選挙応援で東京から地元に帰るヘリに同乗した際、『本当の公僕は、人が口にしない要求を感じ取って行動する人間だ』と言われたことが昨日のように思い出される」と語った。

 県内の自民党は2006年の「一本化」まで中曽根氏系と故福田赳夫元首相系で大きく二分し、その対立の激しさから「上州戦争」と称された。県議会旧中曽根派の会長を務めた関根圀男さん(73)は「白寿(99歳)のお祝いで『次は111歳(皇寿)のお祝いを』とご自身でおっしゃっていた時はお元気だった」としのんだ。

 一方、共産党県委員会の小菅啓司委員長は中曽根氏の死去を惜しんだ上で、「原発政策の推進や国鉄民営化など、現在の自民党政治の大きな流れを作った人物。国民が主人公というスタンスとは隔たっていたのではないか」と指摘した。

 高崎市の生家は県内有数の木材問屋で、旧制高崎中(現高崎高)、旧制静岡高(現静岡大)、東京帝国大(現東京大)に進んだ。

 中曽根氏の訃報が伝わった29日午後、中曽根氏が47年に設立し、塾長を務める財団法人「青雲塾」(高崎市)には弔問者の記帳所が設置され、長年の支持者らが詰めかけた。元県議の浜名敏白さん(91)=高崎市=は「私は戦後、特攻隊から帰郷して、先生が打ち立てた志に憧れずっとついてきた。まだまだ先生から学びたかった」とおえつを漏らした。

 中曽根氏は青森県出身の木版画家、棟方志功(03~75年)との親交も深かった。東京大の赤門前で薬問屋を営んだ中曽根氏の遠縁が戦後、2人を引き合わせたという。棟方の孫で棟方志功研究家の石井頼子さん(63)は「2人は気持ちが通じ合っていた。棟方は言葉に対して鋭い感覚を持ち、言葉を作品に転化する作家だった。中曽根先生の言葉の奥にある、熱い願いや深い憂い、日本を思う気持ちがダイレクトに響き、共鳴するものがあったはず。お互いの存在がそれぞれの立場での活力の源になっていた」と話した。

 静岡大は「(中曽根氏が)本学で学ばれたことは後輩である我々にとっても誇りです」との石井潔学長名のコメントを出した。【鈴木敦子、菊池陽南子、増田勝彦】