宗男氏 中曽根元首相の姿に敬意

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 昼過ぎ、中曽根康弘先生が亡くなったとの話が入る。数々の想い出が脳裏を掠めた。

昭和42年、私が大学2年の時に拓大の総長になられた。その時の演説が今も頭に残っている。

「私学には建学の精神がある。早稲田大学大隈重信翁(おう)『自主独立の精神』、慶応義塾の福沢諭吉翁(おう)『自由の精神』、そして我が拓大桂太郎翁(おう)『開拓の精神である』」。学生が万雷の拍手をした。勿論私もその一人である。

 昭和45年3月、卒業式の時、中曽根先生にご挨拶をした際、「鈴木君、中川一郎君は将来ある政治家だ。君も一生懸命お仕えなさい。そうすれば君の道も開ける」と励まして戴いた。その言葉を胸に刻んできたものである。

 初当選の昭和58年12月は、中曽根政権での選挙だったので、当選後、その45年3月卒業式で撮った写真をもって挨拶に行き、サインしてもらった。今も大事に保管している。

 昭和57年の自民党総裁選挙で中曽根康弘先生、河本敏夫先生、安倍晋太郎先生、そして中川一郎先生が出馬し、総裁選挙となり、中曽根先生が総裁となった。その3か月後、中川先生はお亡くなりになった。

 中曽根先生が総理になるや瀬島龍三さんを韓国に特使として派遣し、日韓関係の打開を図ったものである。

 行政改革、日米同盟等、歴史に残す仕事をなされたが、27歳で国会議員になってからいつも日本のあるべき姿を考えてきた真の「ステーツマン」であったと万感の思いで敬意を表したい。

 101年の人生航路、本当にご苦労様でした。どうぞゆっくりお休み下さいと手を合わせるものである。